【 生殺与奪の権を他人に握らせるな! 】
「その件は、●●に任せています」
「よしっ、●●さんに任せたぞ!」
日常に溢れるこの手のやり取りに、
違和感を感じることが時折あります。
任せる場合は、
任せる側がゴールを掌握しているケースが多く、
任された側は任せた側が持つゴールへと
そのプロジェクトを導くための
様々なチャレンジをする必要があります。
なぜか?
プロジェクトのゴールは往々にして
任せる側が既に描いている、あるいは、
明確なゴールをもって任せているためです。
このチャレンジの要素の多くが、
「ホウレンソウダネ」に沿った
コミュニケーションに含まれています。
幼稚園に限ったことではありませんが、
殆どの法人では組織の全てを把握している代表が、
最終的な責任者となっています。
また、組織規模に応じて、
代表者の考えを十分に理解した片腕となる人物や、
リーダーなどが責任の一端を担いますので、
その場合はそれぞれリーダーがもつゴールに
正確かつ最短距離で辿り着くための、
やはり、ホウレンソウダネに沿った
コミュニケーションをとっていくことが望ましいでしょう。
結果的にこのプロセスをとってもらえば、
任せた側は任された側の成果物が、
思い描いたゴールにたどり着いていなくとも、
自分の責任でそのプロジェクトを
きちんとゴールまで辿り着けることができます。
ただし、仮にこのプロセスから外れたとしても、
任せた側が責任を取るケースが殆どです。
そこで、仕事は何のためにするのか?
という目的の明確化が重要になってきます。
GCLIPでは、仕事を通して
自立した人生を歩む事に
働く目標のウェイトをおいています。
与えられた仕事を、与えられた時間をかけてこなすのではなく、
それらの仕事を「主体的で対話的な深い学び」をもって、
仕事に取り組むことができれば、
自分の仕事が質量ともに上がり続け、
仕事における主体的領域は拡張します。
主体的に仕事に取り組めるようになると、
社内からだけではなく、社外からの信頼も厚くなっていくので、
ダイレクトに仕事を依頼されるようにもなり、
より高みへと自分を導くことができます。
このプロセスが自立においてとても重要な経験となります。
ネタバレになるのでざっくりと書きますが、
自立を解説する上でわかりやすい例を紹介します。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
「惨めったらしくうずくまるのはやめろ!
そんなことが通用するならお前の家族は殺されてない」
今、社会現象となっている「鬼滅の刃」の第一巻において、
鬼と化した妹を身を賭して守る主人公の炭治郎に向けて、
鬼殺隊の柱剣士である冨岡義勇が放つフレーズです。
※「殺」という文字は好まれない文字表現ですが、
文章構成の特性上使用しております。
不快な思いをされた方申し訳ありません。
基本的には仕事も一緒だと思います。
今は多様性の時代だから、
個人にあった仕事を割り振って与えるのが
経営層の仕事なのかもしれません。
ただ、それは選り好みできるほどの経験と、
たとえ苦手なものを与えられても
一定の成果を出せる人に与えられた権利とも言えそうです。 一通り会社の、商品の仕組み、
自社の特徴を理解して、
自立した人材となった後の話ではないかと思うのです。
生殺与奪の件を他人に握らせない為に、
自分で選択できる領域をあらかじめ増やす。
領域を増やすための努力をしておくことは、
先の見えない時代、特に大事な発想だと思うのですが、
皆さんはどう思いますか?
近年「ゆるブラック企業」なる言葉があるそうです。
どんな企業かというと、
「厳しい残業はないが、スキルも得られず成長もない」
「ただダラダラ働いて年をとるだけ」
の会社とネット上では言われています。
先ほどの鬼滅の例で言うところの、
「生殺与奪の件を他人に握らせる」人々を
時間をかけて育成している、
という捉え方もできそうです。
不透明な時代だからこそ、
いや、いかなる時代においても、
得手不得手や好き嫌いで絞り込んで
好きなことに没頭するのではなく、
苦手とも向き合って、
自分の領域を拡張することに力を注ぐことが
自立に向けた望ましい自己投資の姿勢だと
GCLIPでは考えています。
皆さんの園の職員さんは、
苦手なことにチャレンジできていますか?